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大仏師「運慶」

歴史人物鑑定
07 /22 2015
2011.03.10 Thursday - 10:02 comments(0) -

[第1223回](小吉)・・・3月10日(大凶)

『 歴史に残る大仏師「運慶」は、なぜ、”仏像彫刻の名人”であり、その作品は全て国宝として評価されたのでしょうか?』
 昨晩のNHK番組「歴史ヒストリー」で、平安末期の「運慶」を採り上げていました。皆さんも、日本史の教科書に掲載されている「東大寺の南大門;仁王像」は、「運慶・湛慶の作」と習いましたね。
 この「運慶」の”慶”字体の良名と、独自性の”作風”からも、「天命数霊術」として、学ぶことが多いのですよ。
 番組の冒頭で紹介された「奈良・円成寺」という寺名から、私が奈良に転勤したころ、柳生街道をドライブしたときを思い出し、とても懐かしく感じました。立派な山門(国宝)があり、急遽、車を停めて参詣しました。
 ところが、当時、「文化財保護監察」をする以前でしたから、まさか、この寺に「運慶」の”現存最古作”20代の若い頃の作品「大日如来像」(国宝)があるのに気付きませんでした。
 平安時代の末期までは、仏師と言えば、公家に比護された「京仏師」が中心であり、その作風は「観音菩薩像・阿弥陀像」のような”顔形・容姿”がとても優しい女性的な表情の仏像が多く、公家に好まれて、奈良仏師は余り評価されず、表舞台から遠のいていました。
 そこで「運慶」は、作風をガラリと変えて、猛々しい男性的な「仁王・毘沙門天・四天王」などの”独自性”を強調し、さらに「目力(めじから)」を強調するため、”水晶”で作製した「玉眼(ぎょくがん)」と「心月輪(しんかちりん)」の”独自性”を出しました。
 この作風は、平安末期から武士の台頭で、武家社会に好まれ、鎌倉時代に入ると、「運慶一門」の作が鎌倉地方を中心とした全国の寺の本尊・脇仏が作製されて、「運慶・湛慶・快慶」など一門の繁栄があったのです。
 それに「東大寺南大門の仁王像」のような”大型”仏像では、早期に製作するため、分業の「寄せ木造り法」を開発したのも、「運慶」の”独自性”があったのですよ。
 これら三つの”独自性”から、歴史に残る”仏像彫刻の名人”としての栄誉を得た訳です。
 世の中のどんな分野でも、旧来の方式を盲従していては、進歩発展はありませんね。最初に創造し、独自の手法を開発した人、例えば能楽の創立者「世阿弥・観阿弥」などの人こそ、歴史に名を残すのですよ。
 これが、姓名判断の方式にも共通することです。
 昭和初期に発表した「熊崎健翁」氏は、80年後の平成まで、その名を残しています。しかし、その手法(画数の求め方・旧字体使用など)が正しいものだと”妄信”している”占い師”のなんと多いことか! 
 その手法を研究し、改善して”独自性”を出して行かねば、何の進歩発展もないのです。
 私の「天命数霊術」も、決して”完全無欠”とは思っていません。さらに改善・開発する余地はあると思います。
 例えば、根拠としている「後天八卦図(神亀の図)」を一つ検討しても、現在、縦ライン「9・5・1」の応用のみであって、横ライン「7・5・3」の応用はまだ開発していません。さらに風水の「四神相応」や「三合局法」との関係も「9・5・1」との関係のみの開発であって、まだまだ研究の余地を後世に残しています。
 現状の「天命数霊術」を、どなたか、さらに研究開発して、精度の高い姓名判断術を期待しています。
 「仏像彫刻」から投稿済の「たこ焼き・餃子・カレーうどん」まで、”独自性”を出すことが、”世の中”の発展があるのですよ。
(参考;第71回07.8.19「天然木から、仏様を”彫る”のではなく、”迎える”のが大仏師」・・・昭和の大仏師;人間国宝「(故)松久朋琳」氏の理念。)

gakuyo951

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