盲目の天才”琴”奏者

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02 /07 2017
盲目の天才”琴”奏者「(故)宮城道雄」の思い出。
2012.10.11 Thursday - 19:41 comments(2) -
[第1715回](大吉)・・・10月11日(大吉)

『 ”琴の演奏”と言えば、私が小学生時代の頃、今は亡き父母と2歳年上の姉を想い出します。当時、姉は”盲目の師匠”に琴の手習い、父も都山流の尺八を習って、父と姉は合奏していたことを、今日の夕方、NHK総合TVで盲目の天才ピアニスト「辻井伸行」さんが、出演していたことから、”盲目の演奏家”で想い出したのです。』

 皆さんは、正月に和風レストランや料亭に入ると、必ずと言うほど”琴の音”「春の海」を聴いたことがありますね。先ず、「春の海」がどんな曲か思い出せない人は「春の海」を検索して、ユーチューブで聴いてから、今日のブログを読んでください。
 この作曲家であり、演奏家であった”盲目の天才琴奏者”「(故)宮城道雄」の名前は、当時、私はまだ4~5年生だったと思いますが、小学生でも知っていた有名な方です。
 実は、天才ピアニスト「辻井伸行」さんの”天格12”と”盲目の天才”の二つの共通点がある「(故)宮城道雄」氏を連想し、それが当時の私の一家を連想したのです。
 まだ、戦後の焼野原が残り、復興途上の日本、当時はピアノやバイオリンなどハイカラな楽器はなく、母親は当時6年生の姉に何か演奏できるものを習わせたく思っていました。すると、近所の人が「ほんの近所に”宮城道雄”先生のお弟子さんで、免許皆伝を受けた方が、琴を教えておられるのですよ。でも、お気の毒にその方も目の不自由な方らしいですよ。」と母親が聴きつけると、すぐ母親は行動を起こしたことを良く記憶しています。
 それから、母親は戦災に遭わなかった郊外の旧家を1軒1軒、徒歩で尋ねて「どこか、”琴”を譲って頂ける家をご存じないですか?」と探すこと、およそ10日間ぐらい要したと思いますが、ある日のこと我が家に木炭車のトラックで琴が運ばれてきました。
 どうですか、戦後の昭和20年代は、こんな日本の現状だったのです。
 でも、母親は娘(姉)に人並みの習い事をさせてやりたいと思ったのでしょう。母親はお寺育ちで、母方の祖母は広島浅野家の重臣の娘であり、琴の名手だったと伝えられていたので、その孫娘であり、勝気で自尊心が強い母親は「上流階級の姫君に負けぬよう、ぜひに琴を・・・」と言っていたことも思い出します。
 その後、姉は中学三年生まで、盲目の師匠に就いて琴を習い、「春の海」「六段の調べ」「秋の調べ」など、演奏会に出ていたことも思いだします。
 ところが、時代の流れですね。私の娘はバイオリンを、息子にはピアノを6歳ころから高校3年まで習いましたが、名手どころか、単に趣味程度で終わりました。
 さて、今日のブログ、天才ピアニスト「辻井伸行」さんの紹介は、[第676回09.6.11]で投稿済ですが、天才琴奏者「(故)宮城道雄」先生は、
「宮城道雄」天格22・地格21・総格33

この配列のうち天格「2」系列は、「辻井伸行」さんの天格12と共通していますね。ところが、宮城先生が盲目になった8歳ころは、苗字は異なり「菅(すが)道雄」(「菅」の旧漢字は12画)だったのです。すると、天格24・地格12・総格36 になり、やはり天格24の中に「道=12画」を含み、全て”偶数”のため、後天性ですが”盲目”になった不幸に遭遇したのです。
 それからの苦労は並々ならぬものがあり、8歳で失明しても、中島検校に師事してから、僅か3年の11歳で免許皆伝となったのは、やはり天才的な才能です。 そして、13歳のとき、一家で朝鮮の仁川へ渡り、箏(琴)と尺八を教えて家計を助けたそうです。このことが当時の総理「伊藤博文」が感動して、後援の約束した後日に暗殺されるなど、就いていない人生であり、しかも62歳のとき、やはり”事件事故”を呼んだのか、急行列車から転落死で生涯を閉じました。
 しかし、その作品は平成の現在でも、CDになり、ITサイトにも偉業が残され、正月にはなくてはならない「春の海」は、代表作として永遠に残るでしょう。

コメント
 「春の海」は19画で素晴らしいので、評価を受けたのかもしれないですね。
ナルヒサ 2012/10/11 10:21 PM
ナルヒサさま
 お元気で頑張っておられるようですね。「春の海」の筝曲を聴くと、”日の丸”を見るのと同様、「ああ、日本に生まれて良かった。」と清々しい気分になるのですよ。現在の若い人たちの中でも、ITサイトを読んでみると、ライブのような賑やかな音楽が嫌いで、歴女と同様、静かなブーム;筝曲フアンもいるのに安心しました。
望月岳陽 2012/10/12 4:56 AM

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ノーベル賞

0・2タイプ
02 /05 2017
ノーベル賞の山中教授は”臨床”外科医だった!
2012.10.10 Wednesday - 01:25 comments(4) -
[第1714回](小凶)・・・10月10日(大凶)

『 皆さんは、ノーベル賞の山中伸弥教授が、なぜ?画数が良くないのか?と疑問に思われ、「天命数霊術」に疑念を持たれたかも知れません。でも、その理由はブログを最初から読まれている方には、理解されるはずです。』

 いいですか。世の中に100%のものは、”死亡率”だけであり、すべて原則に対して例外があると、なんども投稿していますね。
 その例外とは、①先祖・家族の影響。②職業的(第一線の弁護士・臨床医師・福祉関係従事者)な影響・・・と言いました。
 なぜか?①も実例を挙げて説明してきましたが、②についての「臨床医師」は一般の人が経験しない「”苦労”の連続」をさせられる”運命・使命”にある職業であり、良い姓名の人は少ない、ということ、忘れてはいませんね。

 初めに、山中教授の姓名を観てみましょう。
「山中 伸弥」天格10・地格12・総格22

どうですか、この画数配列が一般の人であれば、”大病・事件事故死”の可能性が大であり、現実のニュースからの実例も沢山紹介してきましたね。
 ところで、山中教授はもともと「整形外科の”臨床医師”」だったのです。そのうえ、2系列のダブりですから、10回以上の骨折する事故も経験されて来られました。
 そこで、ニュースを観ますと、
『 ★臨床医志望から研究者志望へ★
 山中教授は、神戸大学卒業後、国立大阪病院整形外科で臨床研修医として勤務。学生時代柔道やラクビーで10回以上骨折するなど怪我が日常茶飯事だったため整形外科の道を選んだが、他の医者が20分で終わる手術に2時間ほどの時間が掛かったり、点滴に失敗するなどし、指導医からは、「お前は「やまなか」ではなく、「じゃまなか」や」と怒鳴られ邪魔者扱いされ、「向いていない」と痛感したという。重症になったリウマチの女性患者を担当し、患者の全身の関節が変形した姿を見てショックを受け、重症患者を救う手立てを研究するために研究者を志すようになった、との経緯がある。
 このように挫折を味わい、整形外科医の道は断念し、活躍の舞台を基礎研究の方に移します。10回に1回当たればよいとされる研究や実験の世界ですが、時に泣きたくなったり、辞めたくなったりもしたそうです。・・・』
との裏話もニュースで紹介されています。

 私は、この裏話こそ、「天命数霊術」には非常に参考になるのです。
 表向きの山中教授の偉業は、私のブログで紹介しなくても、全国のTVや新聞などの報道で溢れています。
 皆さん、これは本当に不思議なことですが、病院に行かれて、「(現場の)臨床医師」の姓名を判断して観てください。偶に強運の姓名の医師もいますが、ほとんど弱運の姓名ですよ。
 これは、一般の人なら「例えば、交通事故で手足がバラバラになった肉体を接合したり、足を切断して血が吹き出る」のを見るだけでも卒倒するような仕事を連日連夜していたら、これが”強運の人生”と思いますか? (余談ですが、今から20数年前の丁度、山中教授が国立大阪病院の研修医の頃、私は同病院の肺ガン手術を公務の行政監察に関連して、ガラス越しに視たことがありますが、外科手術というのは、余程の強靭な神経でないと勤まりませんよ。)
人生は一度だけなんですよ。毎日、美しいもの見て、笑いが絶えない職業が、どんなに幸せな人生でしょう。
 確かに、臨床医師や弁護士は尊い仕事ではありますが、第一線でどれだけ苦労するか、想像できますでしょう。
 ”尊い仕事”と”苦労性”とは、別の次元で判断すべきなのです。

 このように、山中教授が手術に不器用だったから、臨床医師から研究職に転向されたのは大正解だったのです。
 その幸運のバックには、ご先祖の加護とご家族の協力というパワーを受けて、ノーベル賞受賞となられたと、以上のように「天命数霊術」では判断し、皆さんの疑問に答えたのですよ。

コメント
いつも丁寧な回答をして頂き、ありがとうございます。
先生のブログを楽しみにしております。
今回のブログからはつまり、臨床または研究医師の成功には画数などの良し悪しは関係ないということでしょうか。それともやはり天命数霊術で幸運な方が成功しやすく、山中教授が例外に当てはまるということでしょうか。
信 2012/10/10 2:00 AM
信さま
 これは敢えて記載しなかったのですが、ご質問があったので、お答えします。人生の成功者でも、「仕事と災難」とは別問題です。いいですか、山中教授は現在50歳、天下を取った「織田信長」(成功者)も数え50歳で暗殺(災難)されています。山中教授もこの「2」系列のダブりを使用されていたら、”仕事”は大成功ですが、身体的な”災難”(スポーツとは言え、骨折10回以上)は学生時代に受けておられ、その災難は、今後何歳とは言いませんが、大きな災難(例えば、交通事故など)を受ける”可能性”が高いと言えます。ただ、職業が臨床医師から研究職への転向で、多少の「災難の中和」はされていると思いますが、「改名」されたことに越したことはないのです。クドイようですが、「成功者と災難」とは別問題です。
望月岳陽 2012/10/10 6:37 AM
わかりやすい説明ありがとうございました。
山中教授は社会の成功者という点では、その他の要素が関係している可能性があり、災難にあう危険はまた別にあるということですね。一般的な臨床医師にとっての成功は、定義しづらいのでしょうね。
解釈が間違っていたらご指摘下さい。
信 2012/10/10 2:25 PM
信さま
 そうです。臨床医師の姓名判断は、非常に難しいのですが、「日野原重明」先生(100歳の臨床医師)のように、臨床医学で日本で有名な方は画数も良いのですが、一般の臨床医師は、「9・5」タイプは稀れであり、「4・7」「0・6」「3・8」タイプなども多く、「0・2」タイプが稀にあります。要するに、臨床医師の判断は非常に難しいのですが、しかし医学部の入学者でも例外的に成績が良い子が合格するのは、将来の臨床医師のための運命ですが、それでも山中教授のように勉強はできても臨床医師の適性がない人、これも例外的な存在なのです。
望月岳陽 2012/10/10 2:59 PM

gakuyo951

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