「平 清盛」の人柄

歴史人物鑑定
05 /11 2016
読!「平 清盛」の人柄;人の評価は政変により塗り替えられる。
2012.01.07 Saturday - 16:46 comments(2) -
[第1489回](大吉)・・・1月6日(小吉)

『 明日から、大河ドラマ「平 清盛」が始まりますね。昔から立場が変われば、事実を曲げてまで人の”評価”が変わります。特に歴史上の有名な人物ほど、その傾向があります。いや、現在でも”職場の人の評価”は、立場により異なると思いますよ。』
 現在までのブログで、「足利尊氏・明智光秀・徳川綱吉」なども、事実と異なる評価がされていると、投稿済ですね。(参考;[第304回]08.4.25)
古今東西を問わず、政変があれば、必ず反対派が実権を握ります。すると、新政権は必ず旧政権の評価を、誇張してまで下げるのは道理です。
 現在の日本、「消費税を上げる話題、マニフエストを実行できない話題」などは、約1000兆円の国債(借金)を背負い、そのうえ東日本の復興のためになった原因なのですが、その責任の大半は、旧政権にあった自民党などにあるのです。もし、借金がなければ、かなりの復興ができ、消費税も上げずに済むのです。
 しかし、その割には新政権の民主党は、旧政権の自民党などに、責めの発言をしないところは、とても紳士的だと私は評価しています。
 さて、平安後期に”栄誉栄華”を極めた「平氏一門」は、源氏によって滅亡され、新政権の鎌倉幕府に政変しました。ここに、旧政権の中心であった「平 清盛」の評価を、源氏の治世;鎌倉・室町時代の文献などで、評価を落として行くのは、自然の成り行きだと思います。
 『平家物語』では、「平 清盛」は”悪虐、非道、非情”の描写から、清盛は古来”成り上がり者”の暴君、という評価が定着していました。これは、新政権の源氏方からみれば、当然の評価でしょう。
 しかし、一方『十訓抄』では、実際の清盛の人物像として、「温厚で、情け深い人だった。」ともいわれています。『十訓抄』には、若い頃の清盛についてのエピソードがあります。
「家臣がとんでもない不都合な振る舞いをしても、”冗談”と思うことにした。」そうです。
「少しもおかしくなくても、相手への”労わり”として、にこやかに笑い、家臣が誤りをしても、役立たずと声を荒らげることはない。」
「冬の寒い時に、身辺に奉仕する幼い従者を、自分の衣の裾の方に寝かせ、彼らが朝寝坊をしていたら、そっと床から抜け出して存分に寝かせてやった。」なども記述されています。
 それに、「最下層の召使いでも、彼の家族や知り合いの見ている前では、一人前の人物として扱ったので、その者は大変な面目と感じて心から喜んだ。」
という逸話が記されています。
 特に、この終りの例は、現在の職場でも上に立つ管理者は、部下に対する扱いには留意する必要があります。(「しかる時はコッソリと、褒める時は皆んなの前で・・・」という精神を忘れた上司が会社には多いのでは? しかし、緊急事態に遭遇した警察・消防・自衛隊などは例外の職場です。)
 しかも、「平家物語」で”極悪・非道”の人と評価された「平 清盛」でも、若い頃に世話になった藤原顕時の息子である「藤原行隆」が苦境に陥っていることを知り、援助を申し出るなど、”義理堅い”一面も描かれています。
 また、立場が異なり、平氏に反目した摂関家では、「平 清盛」の”非道”を示す「殿下乗合事件」では、『平家物語』のフィクションであって、実際には非道な報復を行ったのは「重盛」であり、「清盛」はむしろ「基房」に”謝罪的な行為”を示したのが事実であったのが、後世の定説になっています。
 さらに、『愚管抄』では、「如才なく諸方に気を配る人物であった。」とも記述されていますが、政権の末期には権力を維持するため、院・摂関家・寺社勢力と対立していく過程で、強引な手段に出るようになり、評判も悪くなったのが事実です。
 それに、迷信は信じないタイプであったのか、厳島神社建築のための「音戸の瀬戸」の航路工事や貿易港の基礎工事「経が島」でも、清盛は「”人柱を廃止し、経文を彫った石を人柱の代わりにした。」という伝承があるなど、”極悪・非道”どころか、”人道的な優しい心”もあったと伝えられ、現在でも広島・音戸町の住民は、「平 清盛」を尊敬し、必ず呼び捨てにせず「清盛さん」と言い、小学校校歌の歌詞にも採り入れています。それに「清盛ラーメン」のネーミングもあるそうです。
 まあ、以上の「平 清盛」に対する評価を認識したうえで、大河ドラマをこの1年間、観賞してください。 

コメント
大河ドラマはいつも見ています。
「平清盛」は平家物語の冒頭部分の影響を受けたせいか「悪者」という認識がありましたが、「すごく出来た人」だったのですね。私も「平清盛」の様に子供や人に接しなくては…と思いました。
華愛 2012/01/08 7:01 AM
華愛さま
 世の中の人の評価は、一方だけの評価を信じては間違いの元なのです。例えば、近所の評判でも、嫉妬深い女性は自分より美人であれば、誇張したウワサを流します。それを真実だと思い、さらに他人にウワサを流す軽率な女性が多いのです。これは週刊誌に書かれたタレントなどの評判もそうです。必ず、自分で確認できないことは、額面どおり信じてはいけません。
望月岳陽 2012/01/08 11:04 AM

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ナポレオン・コンプレックスの現象

歴史人物鑑定
04 /27 2016
2011.12.24 Saturday - 16:38 comments(9) -
[第1476回](小吉)・・・12月24日(小吉)

『 例外があるにせよ、一般に小柄な男性ほど、”気構え・負けん気”が強く、そのうえ、
”声の音量”や”書体”とも大きい。これを「ナポレオン・コンプレックスの現象」といいます。』
 この傾向も、姓名判断の時に参考になります。
 私が30年間の在職中、約6000人に名刺交換をしてきましたし、退職後の面接相談などで出会った男性、大柄な人ほど”声が小さく、書体も小さい”傾向があります。それに、大柄な男性、特に小太りな人ほど”気が小さい”ので、最近の「現代型うつ」になる人が多いのですよ。
 これに対して、小柄な男性は、自分の体格のコンプレックスを跳ね返す”気構え”から、何でも大きく表現する傾向があります。
 「わが辞書には、不可能という字はない。」と、破竹の勢いでヨーロッパを制覇したナポレオンの身長は、僅か158cmといわれ、フランス人の中でも小柄でした。
 これは現在、ロシアのメドベージェフ大統領も158cm、ナポレオンと同じフランス人のサルコジ大統領も165cmと、現代ヨーロッパ人としては小柄です。
 さて、日本人は草食系の人種でしたから、昔から小柄でしたが、その中でも平家を打倒した英雄「源 義経」の身長は、僅か148cmであり、その証拠として奈良・吉野山(吉水神社)に保存されている”鎧”から、身長が推定されるのです。まるで、小学生が着用するような小さな鎧でした。
 それに、いうまでもなく戦国時代の英雄「豊臣秀吉」の身長も、わずか148cm、「徳川家康」の身長は153cm、背が高いと記録に残る「織田信長」でさえ、165cmの身長でした。
 それに、幕末の英雄「勝 海舟」も148cmくらいで、大刀が地を這っているように見えたそうです。それに明治時代の日英同盟の時、外務大臣「小村壽太郎」も148cm程度だったそうです。比較的最近の元総理「鈴木善幸」氏や「海部俊樹」氏も、現代人としては小柄でしたね。
 このようにして見ますと、スポーツマンは別として、政治家・財界人・研究者などは、男性の体格は”英雄”になる条件にはないのですよ。
 むしろ、”気構え・負けん気”をバネに”英雄”となる好条件とも言えるし、そんな人は「現代型うつ」にもなりにくいのですよ。
 このように男性に対して、女性の身長も昔は低く、150~153cmが平均どころでした。ですから、大衆演劇の女形として有名な「早乙女太一」の身長が175cmとは、元禄時代では”化け物の大女”でしたでしょう。大柄な女性は”可愛らしさ”がない。それに対して、最近NHK番組にも出演している女形「宝海大空」の身長は158cmぐらいの小男が、元禄時代の女形としては適任なのですよ。
 ともかく、私が小柄なので、このような”ヒガミ根性?”で投稿していると思われましょうが、小柄だからこそ、”中傷サイト”や”2ちゃんねる”の書き込みにも負けず、熊崎式の間違った説を正すことができるのですよ。 もし、私が大男なら逆に”気が小さく”て「現代型うつ」になり、「もうブログは止めた!」となるでしょうね・・・。
 タレント「岡村隆史」のような小柄な男性、それを誇りに頑張ってもらいたいです。それに日本一の資産家「孫 正義」氏も小柄ですね。
以上のような歴史的事実と現状のほか、例えば民話の”鬼退治”した「桃太郎」でも、大男ではなく、小さな桃から生まれた小男の暗示があり、「一寸法師」でも針で鬼退治をする極小の男を、民話で表現しています。
「”英雄”は”小柄な男性”から・・・」ということを忘れずに・・・。

コメント
姓名と同じように様々な特徴で性質がわかることがあるのですね。特に日本人は小さな体つきと言われてきましたが、諸外国には負けないガッツでここまでの歴史を築き上げてきたのも意味があると繋がりました。
k919 2011/12/24 11:01 PM
K919さま
 日本人の体格も、欧米人に見劣りしないくらい良くなりました。身長は遺伝すると言いますが、やはり生活環境の変化で体格も変わると思います。私の父は156cmで、私が161cm、息子は173cmと必ずしも遺伝に関係せず、日本人の体格の向上に順応しているようです。いずれにせよ、小柄な男性ほど”気構え・負けん気・根性”があることも、姓名判断の参考にしてください。ですから、幕末の開港や日清・日露戦争にも、諸外国に負けない”気構え”があったのですよ。
望月岳陽 2011/12/25 12:37 AM
いいところに気づかれましたね。

これは医学的にも大いに根拠のあることなのです。小柄なほうが、心臓から拍出され、末梢を巡って帰ってくる血液の労力が少なくて済みます。東洋的には“氣”が充実しているように見えます。病的な原因で小柄なのでなければ小柄ほど気力がみなぎってくるのは理の当然です。長寿者は小柄な人が圧倒的に多いです。 栄養が明治時代よりはるかに優れているのに、日本人の精神力が衰えたのは分を超えて大きくなりすぎたせいかもしれませんね。
悠仙 2011/12/25 5:26 AM
悠仙さま
 その通りだと思います。小柄な人ほど健康で長寿な人が多いですね。昔には聞いたこともなかった「うつ」で出社拒否などで、心療内科(昔は”心療”という用語さえない)が繁盛しているのも、東洋系の日本人の体格が良くなり過ぎたのかかも知れませんね。”気構え・根性”さえあれば、「現代型うつ」は吹き飛ぶのでは・・・?
望月岳陽 2011/12/25 9:06 AM
日本の長寿に多い血液型はB型O型らしいです。

望月岳陽先生は何型でしょうか?
タマゴ 2011/12/27 8:09 PM
タマゴさま
 私はA型ですが、父親がO型で母親がA型ですから、純粋のAA型ではなく、AO型です。
望月岳陽 2011/12/27 11:43 PM
とっても愉快!
夫も息子達もプチサイズなので、この話をぜひ聞かせたいと思います!
先生、ありがとうございました。
柴 2012/01/07 4:54 PM
柴さま
 このブログを読ませてあげてください。小柄な男性の方が、大柄な人より”性格”は男らしいですし、不思議にも英雄が多いのです。ぜひ、小柄に誇りを持つよう元気付けてください。
望月岳陽 2012/01/07 8:22 PM

gakuyo951

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